私の赤はあなたの赤なの?
知人のページを見ていたら、めったに考えないけれどいつでも心のどこかでどうなんだろうと考えることが不意に思い出され、面白いから結論なんて出ないのにつらつらと考えていた。
それってのは、「私の赤はあなたの赤なの?」ってことだ。赤とは、ここでは色である。赤ってのは、トマトとか血液とか信号の止まれを示す色だとか、車のテールランプだとか、EMI版の背表紙だとか、アルファロメオの色だとかなんでも良いが、一般的に世の中のほとんどの人達が「赤」だという色が僕にとっても「赤」だと認識することができている。だけれども、僕が目で見た時に「赤」だと認識する色が他の人の「赤」だという保証はどこにもない(と思う)。計器を用いて色を分析すると数値として赤である部分の値を得ることができるが、ここでも「赤」が僕が意識として感じることができる「赤」であるかどうかは全くもってわからない。
僕が見ている「赤」が他の人の見ている「青」かもしれない。
その人は、僕が「赤い」と思う色をしたものを見た時に、「赤いね」といってくれるのだけれど、もし、僕がその人の意識をどうにかして得ることができた時、その人の「赤」が僕にとっては「青」かもしれない。赤い夕日を見ているのだけれど、その人と "ぽちっ”とスイッチをトグルして意識を交換すると、僕にとっては雲が青い色にそまって真っ青な太陽が沈むのだ。ところが、その人が僕の意識で見ると、緑色に染まった雲に緑色の太陽が沈むのだ。
ドルフィーのフルートを聴いている時、スイッチをトグルすると、その人にはバスクラリネットの音に聞こえて、僕の意識ではなぜだかトランペットに聞こえるのだ。僕が周波数が高いと思っている音がその人にはやたら低い音に聞こえるのだ。レミファソラシドレミーと演奏を締めくくった時、それがドソミファレシラレソーだったり、はたまたドーーーーーーーーーーーーーだったり、ふわふわのスポンジ生地がきんつばだったり、すばらしいタイミングでゆで上がったスパゲティがふにゃふにゃの麩だったり。
などと考えると、おもしろいからそういう情景を考えてみたりするのだけれど、本当にそうだったら少しだけ寂しいような気がする。どうして寂しいと思うのかはよく分からなくて、だいたい、そういうことを考えはじめると、まあいいやと止めてしまうのだ。


Comments
これね、僕もよく考えるよ。一ついえるのは、同じ対象をみて、「赤」と言っているのだから、同じものを「赤」と認識している(あるいは、「赤」という認識は一致している)ことは確かなのだよね。だけど、問題は、「赤」と認識されているものを、どう感じているかというところが一致しているかどうかがわからないところかな。言葉のいたずらみたいではあるけど。要はそういうことかい?
Posted by: みや | Monday, March 08, 2004 at 00:19
認識ってそういうモンだと思いますよ。
困った事に、そういった認識について語るにしても、
言葉というモノを使うのだけど、これも「同じ認識」
で見ているか?というと難しいわけなんですね。
痛いという感覚も、「自分と同じく痛点を通して同
じ痛みを感じるか?」とか、「赤」という言葉を声
で聞いても同じ様に聞こえているか?というと、そ
れはわからないんだよね。
そこらへんは、ソシュールさんとかに聞いてみると、
面白い答えがでてきそう。
Posted by: や | Monday, March 08, 2004 at 05:17
そうです、[問題は、「赤」と認識されているものを、どう感じているかというところが一致しているかどうかがわからないところ]です。幼稚園児みたいな文章でごめんなさい。
記号論ははるか昔にほんのちょっと齧ったんですがすっかり忘れてしまいました。本を物置から救出したら齧りなおしてみようとおもいます。(いつになるやら)
Posted by: yuk1zo | Monday, March 08, 2004 at 21:27